かいしゃの話。

久々に、出社する日が続いた。帰りの電車が手持ち無沙汰で、くだらない考えごと。
 
今度関わることになるかもしれないマネージャーが、部下の労働時間を分単位でみっちり管理する人らしいという話を耳にして、ゾッとした、ということについて。
 
なぜゾッとしたのかを考えた。
 
多分、細かく管理していること自体が怖いというよりも、細かく管理することに意味を見出してしまっていることに対して、怖いと感じた。
 
まず前提として、部下の労働時間を正確に正確に記録して欲しいと思っているのは、人事部。なぜなら、正確な労務管理を通じて、法律(と従業員の健康)を守ることが、人事部のミッションだから。そしてそれは、会社組織が掲げているミッションでもある。
 
一方で、現場でクライアントワークをしているマネージャーがしたい(はずの)ことは、お客さんに価値を提供して、その対価をもらうこと。部下の労働時間を厳密に管理することに工数を割いたところで、お客さんにとっては何の価値にもならない。サイゼリヤに行っていくらミラノ風ドリアを注文しても「このドリアからは、従業員の着替え時間まで厳密に管理して賃金を出している味がするぞ、美味い!」とはならないのと同じ(実際、着替え時間の賃金は特に払ってはいない)。
 
つまり、会社組織がしたいことと、現場がしたいことは、はなから矛盾している。両者が同時に完璧な達成をみることは、多分ない。
 
そして、今のご時世のマネージャーが直面しているのは、この矛盾した問いとどう向き合い、自分なりの答えを出すか、ということなんじゃないか。
 
たいていの人は、ある程度組織のルールには従いつつ、程よいラインを部下と一緒に探る。
 
一方で、杓子定規に部下の労働時間を分単位で管理している、彼。
きっと彼は、その矛盾の存在にすら気づけていないんじゃないか。
 
その可能性に、ゾッとしたのかもしれない。
部下の労働時間を分単位で管理しているというだけで、言い過ぎじゃないかという気もするけど、ひとまずそういうことにしておく。
 
 

とまあ、あれこれ考えてはみたものの。

単に細かく管理されるのが嫌なだけ、というのが、きっと本当の答え。